おしのべの石仏 ① [石仏]
おしのべの石仏には、元禄五壬申年十月十九日 奉造立 十九夜念佛諸願成就
の銘が読み取れます。
約200百年前の方々はどんな考え方だったのでしょうか。
滝前不動尊(動画) [自然]
動画です。クリックしてみてください。
冬の日差しのいいころあいを見つけて、
ごんごろ滝前不動尊を訪ねて見ました。
滝の音が、静寂を破るように聞こえてきます。
滝前不動尊の滝
滝前不動尊の紅葉
千日堂と石仏
千日堂のURL:http://blog.so-net.ne.jp/ryokusuishi/2006-08-11-6
安候の郷の安居の千日堂について、もうちょっと述べてみたいと思います。
千日堂内の千体仏 図説 岩間の歴史より転載
安居の千日堂は昭和56年に町有形文化財の指定を受ける。
翌昭和57年5月、安居地区を中心に、
関係町村900名余に及ぶ信者さん方のご芳志により、
本堂が修復の運びとなられた由にございます。
それに千日堂修復に関する石碑を次に示しておきます。
千碑堂修復記念碑
なお由来につきましては以下のごとくでございます。
記
千日堂は、寛文年間(1661~1672)に、薬師如来像が安置され、
近郷53ヵ村約1200戸の念仏道場として、
栄えたと伝え聞いております。
薬師如来像が安置されていたためか、
通称薬師堂と呼ばれていたように記憶しております。
詳細につきましては次回述べさせていただきたいと思います。
それではまたの機会に! ごんごろジジ様記
田の神様 [祠]
天空の杜、改めあそびの杜(もり)への道すがら、
田の神様のかたわらを通ります。
なにの祠かな~と思いながら、いつも通り過ぎておりました。
親子3代で、あそびの杜に行きましたところ、
管理人の方が地元の方ということで、
お聞きしましたところ、田の神様ということでした。
以前は、田んぼの中に島のように、田の神様が、
たくさん祭られていたということでした。
大隈地方や薩摩地方では、田の神さーとして有名ですが、
この地方でも、あるのですね。
後記:この城下町の牧野公は、日向の国延岡から、
18世紀に国変えで来られたと伺っております。
それと関係があるのかな?
(注):撮影・掲載許可済み
静かな山里の石仏
里をちょっと入ったところの社、
そこにはいくつもの石仏がありました。
何度も訪れてはいたのですが、
目が向かないままでした。
盲点といいましょうか、先入観といいましょうか、
なかなか目が届かない物です。
今回は少しじっくりと見てまいりました。
忘れ去られたような石仏
ちんまりたたずむ石仏です。
やはり憂い顔に見えるのはどうしてでしょう。
滝前不動の滝を上から見てみました。
あとがき:この日も一人の初老の方が、案内本を片手に
静かに訪れておりました。
これから2ヶ所ほどまわれれるとの事でした。
私もそこは知ってはいるもののじっくり見た事はありませんでした。
南北朝の激戦にまつわる、滝の名でした。
斉藤の長井の別当実盛のそれに匹敵するものでした。
滝前不動URL:http://blog.so-net.ne.jp/ryokusuishi/2006-10-12-1
名も知らぬ祠一つ!
桂山のふもとには、お祭りされた祠がいくつか見られます。
これもその一つです。
ひっそりとたたずんでおられます。
お花があがっておりました。
どなたをお祭りしているのでしょうね。
名勝桂山です。
祠の全体の景です。
めったには寄れないものです。
時間を見つけてよってみたい物です。
祠の
馬廻り(まめぐり)のお不動桜 [お堂]
桜の季節には、いつも目を楽しませてくださる馬廻り桜
葉桜の写真と野の花の写真を撮ってみました。
ここが、お不動様ということもこれで分かりました。
お堂と桜と、ただただ思っておりました。
馬廻りお不動様の本殿です。
よく整備されております。
昔のひなびた本堂の写真を見てみたいです。
来年の桜の時期が来ましたら、写真に撮れればよろしいと思います。
彼岸会 [閑話休題]
昨日は、お彼岸のお中日で、宍戸の庄の古刹浄乗寺では、
午後の1時より、彼岸会の法要が執り行われました。
参加は宗派を問わず自由との事です。
私も御住職に誘われて、これ幸いと、
数年前から参加させていただいております。
心が静まる感じでよい物です。
彼岸花と彼岸のお中日。
須彌壇
宍戸の庄の古刹 浄乗寺の彼岸会法要と御住職
石仏のとなりの稲刈り [閑話休題]
石仏のとなりの山あいの田での稲刈り風景。
お願いして写真を撮らせていただきました。
ありがとうございました。
向かい側の山肌には、あざみ、ヒヨドリソウ、オミナエシ、
などの秋草が咲いておりました。
のどかな田園風景でした。