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元禄の世よりたたずむ石仏! [石仏]

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押延村の石仏

先日、NHKで、太閤検地のことが取り上げられておりました。
太閤検地の年貢の収貢率は、5公5民とか!
小田原の北条氏は、4公6民とか。

この石仏のたたずむ押延村の属する宍戸の庄一帯には、
石田三成の検地の入った形跡が見られないとのことです。
(歴史家の検証が必要かも?)

江戸時代の年貢は、近隣諸村より低く、3公7民と伝えられております。
土屋藩領は、5公5民だったようです。
遥か、霞ヶ浦の南岸の羽生村は、やはり3公7民で、
1昨年、興味があり立ち寄りましたところ、今でも豊かさが感じられました。

墓参の折には、寮と呼ばれた境内にあるこの石仏にお参りするようにしております。





押延村の石仏





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コメント 2

チク

そんなに税率が違うとは知りませんでした。
に、しても大変な時代だったのですね、勉強になりました

by チク (2008-03-21 15:13) 

aruba

チク 様へ
税率は違っていたようです。
大学のときの友人の伊達君の支配していた牛久の領地は、
2公8民だったそうです。
伊達家は何においてもはでだったようです。

by aruba (2008-09-03 22:31) 

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